復縁屋、別れさせ屋ジースタイル

こんにちは。
風邪から復活した、復縁屋・別れさせ屋ジースタイルの佐藤です。

さて、今までも佐藤自身が復縁屋・別れさせ屋ジースタイルで働くよりも前に友達の復縁に協力をしたお話佐藤自身の復縁経験のお話をさせていただきました。
そんな佐藤の育ちも絡めたお話を、今回はさせていただきます。

佐藤は、電車も通っていないような、ドがつく田舎で育ちました。
見渡す限り田んぼだけ。
2階以上の建物は小学校しかなく、その小学校すらバスで通う必要があるような町・・・というか、集落です。
そのような田舎では、お寺という存在が非常に大きく、「何かあればお坊さんへ」なんて文化が未だにあります。
佐藤の実家の近くには複数のお寺があり、子どものころからたくさんの宗派のお坊さんによくお世話になりました。
地域に子どもがおらず、遊び相手がいなかったからです。

お寺では、お坊さんに色んなお話を伺いました。
今もその頃に培われた価値観は活きており、佐藤自身も何か悩んだときに、子どものころに頂いたお坊さんからの教えを思い出したりします。
復縁屋としてお客様の復縁に関わらせて頂く中でも、色々なことを思い出します。

こうやって復縁屋・別れさせ屋ジースタイルで働くようになってまず思い出したことのひとつは、《ご縁》というものでした。
そもそも復縁の復”縁”も、ご縁の”縁”ですよね。

仏教ではよく登場する《ご縁》との言葉。
人と人とのご縁、阿弥陀様とのご縁、過去とのご縁、現在とのご縁、未来へ繋がるご縁。
人は独りで生きることはできないからこそ、様々なかたちでご縁は繋がっており、誰かに生かされ何かに生かされ、そして誰かを生かしています。
困難な復縁に直面したお客様は、「あの人とは縁が無かったのかもしれません」との諦めの言葉を口になさいます。

でも、そうではないと佐藤は思うのです。

ご縁が無い人は、世の中に誰一人としていません。
例えば駅ですれ違うだけの人とだって、”駅ですれ違う”というご縁で繋がっています。
こうやって弊社復縁屋・別れさせ屋ジースタイルのブログをご覧頂いているということは、お客様と復縁屋・別れさせ屋ジースタイルのご縁、お客様と佐藤のご縁だって繋がっています。
「縁が無い」なんて人は、存在しません。

では何故別れてしまうのか?
仏教のプロではないので仏教としての答えはわかりませんが、復縁のプロとして復縁屋・別れさせ屋ジースタイルで働いている今、少しだけわかることがあります。
それは、《別れたからご縁がないのではなく、別れてしまうような行動をして、ご自身でご縁を手放してしまったのではないか?》というものです。
いくら好き合っていたとしても、それでも他人同士です。
親子であったとしても、それでもやっぱり別の個人。
意見のすれ違いはあります。
そのときにどういう行動をとるかで、ご縁のかたちは変わってしまいます。
自分の意見を通そうと頑固になるのか、お相手様の意見だけを受け入れようと我慢をするのか、双方の意見の落としどころはないかと向き合い寄り添い合う努力をするのか。

中にはなかなか向き合ってくれずに、自分の意見だけを通そうとするお相手様もいらっしゃるでしょう。
そのようなお相手様の態度に対し、忍耐強く向き合う努力をなさったでしょうか。
向き合ってもらえるようなアプローチをなさったでしょうか。

「向き合ってくれない」と悲嘆に暮れ、諦めてしまうことは簡単です。
ですがそこで諦めてしまうと、そこでご縁は終わってしまいます。
向き合ってもらえないのであれば、向き合ってもらえる自分になれるように、まずはご自身を変化させ、改善してみることが先です。

ご縁は誰とでも繋がっています。
でもそのご縁についてどう向き合い、大切にして慈しむかは、お客様次第です。
「ご縁が無かった」と、自らお相手様とのご縁を無かったものと考えないで頂きたいのです。
ご縁がなかったのではありません。
お客様ご自身でせっかくのご縁を手放し、「ご縁が無かった」と”無かったことにしようとしている”だけなのです。

「諦めたらそこで試合終了だよ」とはスラムダンクの安西先生の言葉ですが、諦めて無かったことにしてしまえばそれまではありませんか?
復縁したい】、そう思ったご自身の気持ちを大切にし、お相手様とのご縁を信じてください。

そんな感じで、復縁と仏教の言葉《ご縁》についてでした。
他にもたくさんのことをお坊さんたちに教わり、復縁屋としてお客様の復縁に携わらせていただく中で活きている言葉はたくさんありますが、今回はここまでで。
お客様の復縁が叶いますように☆
以上、復縁屋・別れさせ屋ジースタイルの佐藤でした。

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